阿寒湖のまりもは訪れる観光客を大いに楽しませてくれる愛らしい存在で、今やまりもの知名度は随分と上がってきています。

まりもは今でこそ身近な存在になりましたが、その背景にはたくさんのエピソードがあるということをご存知でしょうか。

ここではまりもの歴史的観点からのエピソードについてお話していきます。

阿寒湖のまりもの歴史

まりも 再生

阿寒湖でまりもが初めて発見されたのは1897年のことです。

そして翌年の1898年には初めてまりもの存在と、植物学におけるその和名が公表されました。

さらにそれを皮切りに、阿寒湖にある数多くの湾でまりもの群生地が次々と発見されていきました。

このような歴史を辿ってみると、本当に阿寒湖の自然とは多様性に満ちているのだと気づかされます。

まりもが減少していった原因

しかし、1900年代の前半になった頃からまりもの減少が見られ始めました。

その原因とは主に、阿寒湖畔の大規模な森林開発や観光地化によって生じた水質汚染によるものです。

特に阿寒湖周辺の森では森林伐採が行われていました。

それに伴って湖に土砂が大量に流れこみ、阿寒湖の水質はたちまち悪化し、その影響で全体のおよそ半数ものまりもの群生地が消滅するという危機的な事態に見舞われました。

上記のような阿寒湖の環境汚染とまりもの群生地減少は、経済を発展させていくことばかりを優先した結果の負の側面であると言っても過言ではないほどです。

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減少したまりもの群生地再生のために実施されていること

そして、やがて阿寒湖とまりもを保護するための協議会が立ち上がり、1952年には阿寒湖のまりもは国の特別天然記念物に指定されました。

現在も、阿寒湖ではまりもの様々な保護対策が実施されています。

特に、完全に消滅してしまったまりもの群生地再生という課題については、現在もまだ研究中ですが今後の調査や研究の結果に寄せられている期待は大きいです。

まとめ

ただでさえまりもは条件がしっかり整わなければ生息できないほど繊細な生き物だというのに、さらに環境汚染にまで直面してきたとは、何とも波乱万丈です。

それを思うと阿寒湖のまりもはものすごく苦労しながら、それでも一生懸命に困難を乗り越えて生き延びてきたということがわかります。

歴史的な背景を知ることによって、より一層まりもに対して尊敬の念を強くすることができるかと思います。

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